6月24日(水)
金曜日に埃っぽい部屋のソファーでウトウトしてしまって、寝違えたような首の痛さを覚えて以来、咳がちょくちょく出るようになった。
この日の朝、息を吐くと炭酸がはじけるような、ビニールの袋をもむような音が混じることに気がついた。仕事には行ったが、すぐに帰り、自宅近くの病院に行っのは11時くらいだった。レントゲンを撮ったら右の肺が潰れて小さくなっていた。気胸と言って肺に穴の開く病気である。直ぐに入院ということになった。とりあえず職場に最低限の連絡と手配をした。連絡した妻が来てくれて2時に外科医の診察、なんの準備も心の準備もできないうちに、病室に入り、そのベッドの上で、胸に麻酔の注射をして穴を開け、吸引ポンプをつないで肺の外側に漏れ出した空気を吸いだして肺を膨らめた。
しかし、この時、胸になかなか穴が開けられなくて、2回場所を変えてやり直した。その度に麻酔注射と穴を開ける一撃の激痛に耐えなくてはならなかった。
手術後、職場とのメールに時間を費やした。
妻に職場にファックスを送ってもらった。
息子は初めて見る父の姿に泣きそうだった。
手術後にベッドで撮ったレントゲンのよると肺は膨らみ、結果は順調とのこと。少しほっとした。
夜7時半に麻酔が切れて、呼吸のたびにいたくなり、そのせいで過呼吸になった。苦しくて痛くて死ぬかと思った。痛み止めを飲んで収まった。寝た。

6月25日(木)
痛み止めを時々飲んで、痛みはそれほどでもないが、重いポンプにつながれていて不自由である。トイレにも気楽に行けないので、出されたものしか飲まず、なるべくためて看護婦さんを呼んでポンプを運んでもらうか、尿瓶に自分でするかである。
頭痛がするようになった。
何もする気になれなかった。
朝撮影したレントゲンとCTによると、大きなブラーがあったそうだ。
ネットで検索すると再発の可能性は50%とあり、飛行機も良くないらしいとあり、旅行をどうするかでちょっとブルー。
夜に妻にテレビのカードを買ってもらい、テレビを少し見た。
6月26日(金)
朝、経過が良いのでポンプの吸引が止められた。
直後に胸が痛んだが、すぐに痛みはなくなった。しかし、動いたり、大きく息をしたりすると痛い。
頭痛もあり何もする気になれず。テレビを見ていた。
頭痛のために痛み止めを飲んで昼寝した。
妻にDVDプレーヤーを持ってきてもらい、ダビングしてあったテレビ番組を見た。
6月27日(土)
今日も吸引が止められたポンプにつながれたまま。
まだ微熱があり、午後から頭痛がした。
まだやる気が出ない。ビデオを見ていた。
トイレに行くときはいちいち看護士を呼んで、ポンプを運んでもらわないといけないのだが、ベッドに尿瓶もある。夜中などはそこにしている。
溜まった尿瓶を処理するように頼んだら、中身をトイレにこぼしただけだった。洗わないのか。ちょっと病院に不信感。
そういえばお茶のカップがいつも置かれているのであるが、お茶も継ぎ足すだけだったようだ。ますます不信感。
6月28日(日)
朝、管のポンプの近くがピンチで止められた。
まだ微熱があった。頭痛はなかった。
やっと少しやる気が出てノートパソコンで少し仕事をした。
6月29日(月)
朝、若い外科医が来て、今日管を外して明日退院ということを告げた。
もう少し先かと思っていたのでビックリ。
まだ少し微熱があるが、ノートパソコンでちょっと仕事。
あとはビデオを見ていた。
午後3時頃、病室で胸につながれていた管を外した。
麻酔の注射は痛かったが、管を外したり、縫ったりするのはまったく痛くなかった。
担当の若い外科医は腕が立つみたい。
夕方にはその外科医がノートパソコンを持って来て説明してくれた。ノートパソコンのCTの画像を見ると大きなブラーがあった。これは見るからに再発しそうである。
事前にまとめて渡しておいた質問メモの全てに答えてもらった。
原因としては13年前までの喫煙と体質だろうということで、ブラーは最近できたものではなく、ブラーが破けた直接のきっかけはわからないようだった。
6月30日(火)
同室の人が夜中ずっとテレビをつけていて音が気になり眠れなかった。イヤホンをつける決まりなのに。
平熱になった。
尿瓶は新しいものに交換してくれる看護士がいた。お茶のカップも洗ってくれる人がいた。人によるのかもしれない。
昼頃、平日の毎日に何人か引き連れてやってくる外科の一番偉そうな医者が1ヶ月は運動をしないようにと言い残して終わり。もっと詳しく聞きたかったが、忙しそうで聞く雰囲気ではない。1週間後に若い外科医の診察があるからいいか。
夕方になり、妻の迎えが来て退院した。
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